この地近くの「鹿ケ谷草庵」で説法を続けていた法然の弟子である僧住連と安楽の物語を残す住蓮山安楽寺。 二人の僧は、後鳥羽上皇の寵姫、鈴虫と松虫を無断で出家させたとか、匿ったとかの理由で死罪、 女たちは自害し、法然、親鸞は流刑に処せられたという。 後に刑を解かれた法然が彼らの菩提を弔うためにこの寺を建立したと伝えられる。 連休の谷間の日、安楽寺は訪れる人も少なく新緑に埋まっているかのようであった。 安楽寺門前の坂道を下って哲学の道に戻る。哲学の道も、桜や紅葉の時季とは打って変わって静かな新緑である。 終点近くにある著名な和菓子屋の売店とお茶処の屋根も竹藪と緑一色に包まれていた。 哲学の道南側の終点は、熊野若王子神社である。 後白河法皇が熊野権現を勧請して創建したと伝えられる。参道の石橋も緑の中。 背後の若王子山頂に同志社の墓苑があり、目下話題の新島襄・八重夫妻の墓があると案内が出ていた。 徒歩20分の山登りは遠慮することとしたが。 Leica M9, Elmarit-M 50mm/2.8
by kurakame
| 2013-05-09 07:37
| M9
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