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memories - 遥かなる大和路

’62晩秋 斑鳩の里

首都圏から奈良・大和路への時間空間距離は著しく縮まった。
50年前、貧乏学生だったぼくらの大和路行きは、東京駅を夜行列車で発って翌朝京都駅に到着、
そこから奈良電(現近鉄奈良線)に乗り換えるのが一般的であった。

この項、「遥かなる」は過ぎ去った時間をイメージした「遥か」の心算である。


斑鳩に代表されるのはいうまでもなく法隆寺であるが、
その大伽藍を北側に広がる田園に抜けると、前方に小さな森に囲まれた法輪寺と、
少し離れて東側の彼方には法起寺の端正な三重塔が望まれる。

この斑鳩の里の風景が四季を通じて何とも良い。

法輪寺の塔は昭和19年に落雷で消失し、昭和50年に再建されたので、
50年前のこの時代には見ることは出来なかったのであるが。

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Canon L2, Serenar 35mm/2.8


More(法起寺三重の塔)
by kurakame | 2012-01-10 08:47 | Others | Comments(6)

真夜中の赤い満月

皆既月食。真夜中の天頂近くだったので、かなりカメラを向けるのも覗くのも大変でしたね。

満月が地球の陰にすっぽりと入ってしまっても、地球の大気で屈折した波長の長い赤い色が回り込んでかすかに赤銅色になっている月面である。

近頃の高性能なデジカメでは、長いレンズさえあれば、オートでも皆既中の微妙な色も美しく描写してくれるが、ここでは何時もの旧い自作の天体望遠鏡にGF1を取り付けてトライしてみた。


     皆既に入ったばかりの月面。まだ少し明るい部分が残って見える。ISO 1600でのこのノイズ、ご容赦のほどを。
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2011/12/10. 23h 07m.
口径20cm自作反射望遠鏡(木辺鏡)+40mmアイピース(×40)+GF1(14mm-45mm)。1so 1600, f 3.7 1/6 WB5500K。


More(皆既の前の)
by kurakame | 2011-12-11 08:28 | Others | Comments(12)

memories⑥ - 1997年、ヘール・ボップ彗星

学生の頃からのネガが溢れてしまって、夏の1日、思い切って整理、大部分を廃棄することとした。
ふと、目にとまった、記憶が新鮮ないくつかのシーンを、夏の終わりの自分史のメモとして。
旧い写真ゆえ、カビ、キズ、退色等々はご容赦のほどを。



彗星、ほうき星(Comet)は宇宙を浮遊している塵や氷の塊が、たまたま太陽や地球に近付いてくる、太陽系の流れ者である。

尾をひいて星空に光る彗星の写真を見ると、あたかも流れ星のように空を走っているようにもみえるが、彗星は、あの格好で星座の中に留まって見えている。あの尻尾は太陽に近付くと放射圧と太陽風によって彗星本体から希薄なガスが発生して出来るもの。

一部の周期彗星を除いて、多くの彗星たちは気まぐれに、なんらかの天体重力の影響を受けて太陽や地球に近付いてくるが、明るくなって普通に肉眼で見えるほどになる大彗星は10年に1個か2個程度である。


さて、1997年春、ひさしぶりの肉眼彗星、ヘール・ボップ彗星(Comet Hale Bopp)が見られたのを機に、あちらこちらと写真になりそうな場所を彷徨ったが、西伊豆まで行って嵐になったり、千鳥が渕の桜のあいだを狙って見たが、空が明るすぎてNGだったりと。(明るく見えていたのは2週間ぐらい)

        八ヶ岳に沈むヘール・ボップ彗星

結果、無難な清里高原でのショットがこれ。いまどきのデジタルならば、この程度のイメージは簡単にとれるのだが、なにしろフィルム時代、露出をいろいろと変えて撮ってとあは現像待ちという頃のことであった。 (画面左の小さな星の集団は「すばる」プレイアデス星団)

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1997年4月12日 19h28m 。
Rollei 35S, Sonnar 2.8/40, Provia400, f 2.8, 30s.


More(お台場レインボーブリッジでは・・)
by kurakame | 2011-10-16 08:33 | Others | Comments(10)

月齢 9.3

酷暑だ、早い秋雨前線の停滞だ、と騒いでいる中に大型台風の列島直撃で各地には史上最大級ともいわれる水害、地害が引き起こされてしまった。

ようやくの晴れ間、南天にはやや膨らみを増した上弦の月。そう、もう12日は中秋の名月だ。

自作の天体望遠鏡にコンデジをセットしての月面は、かつて小ブログでも紹介したが、やはりコンデジの限界があり、改めてM4/3のミラーレス一眼を取り付けるべく画策中なるも、アダプターのサイズなどで焦点位置を変更の必要があることが判明。これは望遠鏡本体にかかわることなので、ややしばらくの時間が必要となる。

焦点位置の測定などで望遠鏡を持ち出したので、久しぶりにコンデジで撮ってみる。やはり早々に望遠鏡の改装を行ってGF1でも取り付けられるようにするべき。

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自作20cm反射望遠鏡+25mmアイピース(倍率66×)+NIKON Coolpix P5000
2011年9月7日19時55分(月齢9.327)撮影
クリックで画像拡大します。

by kurakame | 2011-09-07 21:17 | Others | Comments(12)

memories⑤ - '70、CHICAGO

学生の頃からのネガが溢れてしまって、夏の1日、思い切って整理、大部分を廃棄することとした。
ふと、目にとまった、記憶が新鮮ないくつかのシーンを、夏の終わりの自分史のメモとして。
旧い写真ゆえ、カビ、キズ、退色等々はご容赦のほどを。


'70's CHICAGO in EKTACHROME

'70年5月、南カルフォルニアで細々と果樹園を営んでいた日系二世の知人と数日間偉大なカリフォルニアの田舎を走りまわったあと、1人旅は思いつきのシカゴへ飛ぶ。

シカゴは予備知識でも全くの白紙状態の都市、ただ近代建築の巨匠たち、ライトやミースの作品が多いということがその目的であった。

当時のシカゴは日本人の観光客などめったに遭遇することもなく、西海岸の短い滞在からしても、「これがアメリカ」かと驚いたりした記憶がある。


さて、スライドフィルムの経年劣化、ここからは国産フィルムが尽きてKodakのEKTACHROMEとなる。取り出してみたフィルムはある程度の色は残っている。ここでは、退色復元などの処理をしない状態の画像を少し紹介しておくことにしよう。

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NIKON F, PC-NIKKOR 35mm/3.5, EKTACHROME


More(シカゴのエクタクローム)
by kurakame | 2011-09-06 08:35 | Others | Comments(14)

memories ④- ’70 San Francisco

学生の頃からのネガが溢れてしまって、夏の1日、思い切って整理、大部分を廃棄することとした。
ふと、目にとまった、記憶が新鮮ないくつかのシーンを、夏の終わりの自分史のメモとして。
旧い写真ゆえ、カビ、キズ、退色等々はご容赦のほどを。



40年前の、アメリカ3都市駆け足1人旅とポジフィルムの退色

アトリエ設計事務所のボス(師匠)が、Hawaii Univ.のVisiting ProfessorとしてHonoluluに滞在するのに便乗して、雑用係兼運転手として少しだけ出かけさせてもらった。
帰国するボスを空港に送って、航空券を米大陸(Mainland)まで準備してもらっていたので、予約なしのいきあたりばったりで、SanFrancisco,Chicago,New Yorkと、建築を見てまわったときの記録である。

ドルが360円、外貨の持ち出し制限があったりで、フィルムも極力日本で調達していった。すべてボジフィルムで、メインはフジカラーであった。

スライドのマウントのまま、缶に保管していたのだが、見事に茶色一色の退色(!)。ところがこの記事のためにスキャンするときに、スキャナー(GT-X820)の「退色復元」をクリックすると、何とか(!)色らしいものが「復元」されたではないか。その画像がSan Franciscoの坂道である。

その後、持参のフィルムが無くなって、ChicagoやNYのドラッグストアで買ったエクタークロームは、かなり色が色らしく残っていたのだ。(次回に!)

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NIKON F, PC-NIKKOR 35mm/3.5, FUJI COLOR


More(スキャナーの退色復元)
by kurakame | 2011-09-04 08:54 | Others | Comments(14)

memories③ - ’60、瀬戸内宇高フェリー

学生の頃からのネガが溢れてしまって、夏の1日、思い切って整理、大部分を廃棄することとした。
ふと、目にとまった、記憶が新鮮ないくつかのシーンを、夏の終わりの自分史のメモとして。
旧い写真ゆえ、カビ、キズ、退色等々はご容赦のほどを。


宇野-高松カーフェリー

’59年暮から’60にかけての駆け足西日本1周の旅の大きな目標は新旧の建築を「見狂って」(Mさんの言)歩くことであった。気が付くと、多くは丹下健三氏の、その数年以内に完成した新作が圧倒的に多かったが。

山陽道を東上して、四国にはどうしても観ておきたい丹下作品が高松(香川県庁舎)と今治(市庁舎、公会堂)にあった。

もちろん、本四連絡橋などは無い。JRの連絡船宇高航路(宇野-高松)とほぼ同じルートで民間の(といっても多分日通かどこかの大手)カーフェリーに乗って四国へ向う。

このフェリー、木造で、乗降は2枚の船板(厚い板)を渡してその上を通過する。係り員の誘導はあるものの、シロウト運転手には冷や汗モノではある。

運行中もごらんの通り、安全設備は何も無い、全て自己責任ということか。プロが大半を占めるこの時代であったからこそであろうか。


         デッキで一服のMさん。
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Canon L2, Serenar 35mm/2.8


More(’60年新春のフェリー)
by kurakame | 2011-08-25 08:27 | Others | Comments(14)

memories② - ’59年、国道9号線

学生の頃からのネガが溢れてしまって、夏の1日、思い切って整理、大部分を廃棄することとした。
ふと、目にとまった、記憶が新鮮ないくつかのシーンを、夏の終わりの自分史のメモとして。
旧い写真ゆえ、カビ、キズ、退色等々はご容赦のほどを。


’59年12月、国道9号線で

先輩のMさんが大学院の都市計画専攻に進学したことで、クルマで日本1周しながら都市と建築の観て歩きを計画された。幸い、友人のツテで、トヨタさんから中古のライトバンを無償で貸与していただき、Mさんのアルバイトの設計報酬を資金としての冬休みの旅であった。

当時、クルマもまだまだ少なく、学生でライセンスを持っているものもわずかということで、ペーパードライバー同然のkurakame青年は、後半の西日本に同行させていただいた。(概要は↓More欄で)
当時、高速道路は皆無、1号線の東海道でさえ、一部は未舗装の道路状況であった。

年末の兵庫県北部の国道9号線である。故障が修理できるわけでもないのに、一行はツナギの作業衣などを持ち込んで格好をつけていた。

このときは、なんの故障かは覚えていないが、そのちょっと前に落輪して通りかかりの定期便のトラックに引っぱって貰った記憶がある。すれ違いも一苦労の狭い国道である。


これから峠を越えて日本海側に出る、ちょっと手前。「気をつけて行けよ」とトラックの運転手に励まされた。
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Canon L2, Serenar 35mm/2.8. *(プリントからのスキャン)


More(’59年、冬休みの西日本1周)
by kurakame | 2011-08-23 08:48 | Others | Comments(6)

memories ① -’62年、浄瑠璃寺

学生の頃からのネガが溢れてしまって、夏の1日、思い切って整理、大部分を廃棄することとした。
ふと、目に止まった、記憶が鮮明ないくつかのシーンを、夏の終わりに自分史のメモとして。
旧い写真ゆえ、カビ、キズ、退色等々はご容赦のほどを。


浄瑠璃寺

奈良郊外、当尾の里の浄瑠璃寺は九体阿弥陀堂形式を残す現存唯一の寺で、別名を九体寺とも呼ぶ。
和辻哲郎の古寺巡礼や、土門拳の写真に刺激されて、平安後期のこの名刹へも学生の頃から何度か足を運んだ。

当時は、路線バスの九体寺口という停留所から畑や林の中を30分以上も歩いて、鄙びた古寺に辿りついたものだ。

訪れる人も稀なほどに静まり返った境内の浄土池などはかなり自然のままの風情が阿弥陀堂の美しい形を映していた。

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Canon L2, Serenar 35mm/2.8


More(数年前に訪れた浄瑠璃寺)
by kurakame | 2011-08-21 08:49 | Others | Comments(8)

PC NIKKOR 35/3.5 @民家園 - 菅原家住宅

出羽三山の麓の農家。

素朴な中に高窓の破風の独特なフォルムが何かモダンなデザインに通ずるものがあるような気がする。鶴岡市松沢から移築。18c末。

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NIKON F, PC NIKKOR 35mm/3.5, RDPⅢ

by kurakame | 2010-09-27 08:13 | Others | Comments(0)